2024年有馬記念回顧録

ウマの王国C105 — 追加レポート

主役とは何か、主役とは誰か。

2024年を締めくくるグランプリレース『有馬記念』が終わりました。
少しの悔しさと、寂しさを残して。

あなたにとって、私たちにとって、レースの主役は誰でしょう。
そもそも、主役とは何なのでしょう。
これは、その「主役」を考えるお話です。

※この記事には、特定の馬に対する筆者の個人的な感情が含まれます

2024.11.24 ジャパンカップにて

拝啓 過去のあなたへ

世紀の大接戦。
ハナ差を制したのは3歳牝馬のレガレイラ。

 ゴール前、シャフリヤールとレガレイラの大接戦。レース映像を見ただけでは、どちらが勝ったのかは誰にもわかりません。レガレイラか、シャフリヤールか。掲示板に灯される番号を、全ての競馬ファンが固唾を呑んで見守ったのではないでしょうか。
 そして、「8-16-1-5-11」の番号が掲示板に並んだとき、皆さんはどんな感情を抱いたのでしょう。3歳牝馬が有馬記念で勝利したのは、64年ぶりのことでした。

 3歳で挑んだクラシック路線、牝馬であるレガレイラが狙ったのは、女王のティアラではなく、王冠でした。しかし、皐月賞は6着、ダービーは5着。ファンから推された人気に、なかなか応えることができないレースが続きました。

 そして迎えた、有馬記念の第4コーナー。そこから先頭を切って最終直線に飛び込んだのは、今年のダービー馬、ダノンデサイル。
 外からは2021年のダービー馬シャフリヤール、馬群の中からはレガレイラが、じりじりと加速を始めます。中山の坂を駆け上がったとき、ほんの一瞬並んだ3頭でしたが、そのままダノンデサイルは交わされ、レガレイラとシャフリヤールが、激しく先頭を奪い合います。もはや併走。どちらも譲る気はありません。
 そして、2頭並んでのゴールイン。

 職場の休憩時間に、休憩室のテレビの前で結果を見守っていた私の周りには、「シャフか!?」「レガレイラやろ!!」と、いつの間にかテレビを囲む同僚たちの姿がありました。


掲示板に8番が点灯したとき、涙を流した人がいた。

 やっと報われたレガレイラの姿は、あなたの目にどう映りましたか。
 きっと、色んな想いがあるのです。

  • あの子の勝利が観たかった。
  • やっと報われた。本当に嬉しい。
  • みんな頑張った。私も頑張ろう。
  • これが競馬だ。
  • 私の推しは負けちゃった。
  • 馬券が当たった、外れた。

 あの日、職場のテレビを囲む同僚の中に、涙を流す人がいました。
 「やっと勝てた」
 その言葉の重みは、レガレイラを本気で追い続けてきた人にしか、きっとわかりません。でも、確かなことがあります。その同僚にとって、彼女は間違いなく、レースの主役だったのだと。

 そうか、レースの主役は誰か1頭だけじゃないんだ。出走する馬それぞれに、そこに立つに至る物語があり、だからこそ「有馬記念」というグランプリレースに推されるのだと、ごく当たり前のことに気づかされます。

 だからこそ、皆が有馬記念に熱狂し、家電量販店のテレビの前や街中の大型ビジョンに人だかりができるのです。
 グランプリレースは、ビッグマネーが動く賭け事であると同時に、皆が誰かの勝利を願う、そんなレースでもあるのでしょう。

主役とは何か、主役とは誰か。

誰もが誰かのヒーローで、誰かのヒールだ

 2024年に公開された映画『ウマ娘プリティーダービー新時代の扉』の中で、印象に残っているシーンがあります。
 クラシック三冠初戦の皐月賞、圧倒的に強かったアグネスタキオンに、観客たちは熱狂します。そして、突如発表されたレースからの引退に、世間は「主役不在のダービーだ」「タキオンの走りを観たかった」と反応します。

 映画の主人公は、ライバルであるジャングルポケット。その視点から見える世界で、ウマ娘ファンたちはおぞましいほどアグネスタキオンに心酔し、他のウマ娘たちには興味のないような反応をします。
 ドウデュース引退のニュースに触れたとき、あの映画の演出がとても正しく、ありのままの心理を描いているのだと気づかされました。


 「主役不在」という言葉は、時には人気投票のように世間を賑わせる言葉になり、時には私や貴方だけが感じる、「推しがその場にいてくれない」という、ただそれだけの感情であり、ただそれだけの言葉なのです。

 ウマ娘の映画において、主人公のジャングルポケットを推す視点で映画を観る私たちにとって、アグネスタキオンはヒールでした。でも、きっとあのスクリーンの中の世界で、ウマ娘ファンたちは、きっと全く違う想いを抱いていたはずなのです。

 競馬の世界には、馬の数だけ、騎手の数だけ、馬に関わる人の数だけ主人公が存在し、競馬ファンの数だけ「推し」への想いが存在するのだと思います。そんな世界では、誰もが誰かのヒーローで、誰もが誰かのヒールなのかもしれません。

 だからこそ、思い描いていいのです。欲していいのです。
 あの日、「もしドウデュースが出ていたら、絶対に彼が勝っていた」その世界を。

伝説は終わらない

競馬とは継承するスポーツだ

 ドウデュース不在という、寂しさと悔しさを残して、今年の有馬記念が終わりました。
 でも、彼は健康に暮らしています。健康に暮らせるように、最善の決断をしてくれた関係者の方々に囲まれて。
 競馬とは、強さを次代に継承し、強さを更に醸成するスポーツです。競走馬に関わる人々の努力の上に、今の競馬があるのです。

 ドウデュースはこれから、種牡馬として新たな人生を歩み始めます。彼がレースで走る姿を見ることは、もう二度と叶いません。でも、そう遠くない未来に、彼の能力を受け継いだ子どもたちが、レースの世界に誕生します。
 子どもたちの活躍を、楽しみに待とうではありませんか。そして、言ってやりましょう。あの日の有馬記念は、ドウデュースが勝っていたと。